
神前式~伊豫豆比古命神社 -椿神社③- ~
2025.05.07 #挙式のみ #和婚・和装結婚式
愛媛県で神社結婚式・神前式・和婚ができる結婚式場をご紹介。
決まりやしきたりにとらわれない演出で、小さくとも心温まるウェディングが叶います。
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千年以上の昔からこの地で信仰を集め、 14世紀頃から道後七郡の総守護と称えられた歴史ある神社。社殿は日本三大八幡造りの一つとして国の重要文化財にも指定されています。そんな伝統と格式ある伊佐爾波神社で、古き良き日本の心に触れる温かな結婚式を。オプションで道後温泉の街並みを、挙式後に撮影できます。旅行の思い出を、いつまでも一緒に。
伊豫豆比古命神社は、御鎮座(御創建)二千余年の古くより、尊称・敬称も親しく「椿神社」「お椿さん」とも慕われ、縁起開運・商売繁昌の神様として、四国四県はもとより、広く全国から崇敬を寄せられています。祀られている御祭神は、伊豫豆比古命と伊豫豆比売命の夫婦の神様です。伊豫豆比古命神社の結婚式は、この夫婦神の御前で厳粛に夫婦の誓いを結ぶ神前結婚式です。また、神社の杜は「神奈備」「神寂び」の森とも称され、遠い御祖(先祖の意)達から敬われて現在まで、神社信仰の尊い礎として崇められてきました。つまり境内の樹木の一木・一木が神様の息吹を享けて、何百年・何千年もの間、呼吸を続けて根を肥やし、御神木として神社の歴史と由緒を無言で語っています。伊豫豆比古命神社の歴史深き杜で、ご夫婦の神様に見守られながら、厳かな神前挙式が叶います。
冠山山頂に鎮座する「湯神社」。道後温泉の守護神として、景行天皇の勅命により建てられたと言われる由緒正しき名社です。神代の昔、大国主命が病に倒れた少彦名命を温泉の湯につけたところたちまち治ったという伝説があり、この2神をお祀りしています。天災などで温泉が止まるたびに神楽を奉納して祈願してきたといい、この湯祈祷は今日では道後温泉祭として観光松山の春の先駆けとなっています。道後温泉本館や足湯も近く、道後の町を見下ろしながらゆったりとした一日をお過ごしいただけます。
嚴島神社は、大和朝廷時代の第32代崇峻天皇の時代(約1400年前)に九州宗像大社より宗像三女神を勧請し、鎮座されたのが始まりです。慶長7年安芸の宮島、嚴島神社より勧請、嚴島神社と称するようになります。慶長7年(1602年)苅屋畑の戦いの戦火にかかり、現在地に奉遷。歴代の松山藩主は、参勤交代の都度、嚴島神社に立ち寄り、藩内平和の祈願をされました。現在は厄除け・交通安全の神また勝負の神として信仰をあつめています。また、嚴島神社の境内にある司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』の主人公秋山好古の書「表忠碑」の文字と地元三津から日露戦争へ送られた従軍者の名前が刻まれた碑や、三津嚴島神社の秋祭りに奉納されている神輿の鉢合わせと約四百年前から受け継がれている古三津の郷土伝統芸能「虎舞」など、日本の歴史を今に伝えています。
今治市の象徴・今治城内に明治5年より鎮座する「吹揚(ふきあげ)神社」。名称の由来は今治城の別名「吹揚城」です。天守閣の真横に位置する珍しい神社で、四季折々の神苑の花暦とお城の佇まいは参拝する人の心を和ませ、広く市民の心の郷里として親しまれています。天照御大神をお祀りするご本殿のほか、境内には様々な神様がお祀りされています。瀬戸内海を間近に臨み、海水を掘に引き入れた城内の散策もぜひお楽しみください。海から吹く風が、おふたりの船出を祝福します。
愛媛縣護国神社は、1899(明治32)年に「私祭招魂社(しさいしょうこんしゃ)」として創建され、1939(昭和14)年、現在地に遷座(せんざ)されました。社号を現在の内務大臣指定の護國神社「愛媛縣護國神社」に改称され、1945(昭和20)年に戦災により焼失しましたが、1951(昭和26)年から造営に着手、1955(昭和30)年に現在の社殿が竣工しました。愛媛県出身の英霊や公務殉職者、俳人の正岡子規命等、郷土の産業・文化発展の功労者が奉斎されています。また、万葉集で詠まれた植物を見る事ができる「愛媛万葉苑」が隣接し、1年を通して多くの参拝者が訪れています。